あの頃があるから今がある。
このページでは、2024年3月15日に当農園の代表取締役社長に就任した、
北崎昌靖のこれまでの歩みについて詳しくお伝えします。
1976年に生まれで、家が農園をしているため農業が身近な環境で育ちました。学校から帰ると畑の石を拾ったり、夜にはスイカを拭いたりして手伝っていました。夜、人が集まって出荷している様子が、にぎやかでお祭りみたいで面白いなと思っていました。
小学校から野球をやっていて、高校では野球部へ。高校卒業後、福岡の学校に進学。この頃は明確な将来ビジョンや目標はなく過ごしていました。時を同じくして友人が高校卒業後に和太鼓のプロ集団で頑張っていました。徐々に自分への甘さや、何者でもない弱さに焦り始めていました。とにかく自分を試したい。自分の事を何一つ知らない環境に身を置き自分を(ゼロ)から試したい。そしてアメリカ行きを決めました。
この協会を通して2年間アメリカで生活しました。同期として日本全国から総勢87名でのスタートでした。渡米後は英語を学んだり、運転免許を取得したりの共同生活を過ごし、その後アメリカ西部を中心とする各農場へ配属され、自分自身生きていくための生活が始まりました。
アメリカなのに87名団体という矛盾、各個人の考えや思い、百人百様だと実感しました。グループのリーダーだった自分、個人としての自分、矛盾だらけでした。これがやりたかった事なのか?と自問自答の日々でしたが、団体生活で何かトラブルがあると頼りになったのは同じ仲間でした。前半の生活は人の性格の多様さを受け入れる時間でした。
オレゴンで2か月ビールのホップの収穫やカリフラワーの収穫に携わり、その後カリフォルニア州のリッチモンドでバラ農場に入り農場のメキシコ人達と一緒に汗っを流しました。
日本に帰国して、23歳で北崎農園に入社しました。アメリカ研修をやりきったことで燃え尽き症候群のような状態で仕事に熱中出来ず中途半端でした。ただ年数だけが経過し対外的にいつのまにか専務と呼ばれるようになっていました。
何かをきっかけに自分の形を作らなければとハラペーニョ栽培に挑戦しました。新しく軸となる品目ができればと思って作り始めましたが、なかなかうまくいかなくて、「ハラペーニョ」は3年でやめることに。後片付けをスタッフにお願いしていたある時に、後片付けの様子を見た先代が怒って、「自分で蒔いた種は自分でなんとかしろ!」と言われて目が覚めました。品目を増やす覚悟や責任感が薄かったことに反省をしました。先代から「迷った時は大変な方を選択しろ」という助言もいただき、この言葉も今でも大切に守っています。
2024年には代表取締役に就任しました。スタッフが働きやすいように、会社の仕組みや環境作りに努めていきたいと思います。また現在、新商品の開発中です。近日公開予定。お楽しみに。